【No.450】 憲法記念日

お元氣様です!
昨日は憲法記念日だったんですねー
沖縄の新聞、琉球新報の社説はこんな内容でした。
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【2012年5月3日 琉球新報 社説】
憲法記念日 活憲で命輝く社会を/沖縄は不沈空母ではない
おびただしい数の住民が犠牲になった沖縄戦から7年後の1952年4月28日、対日講和条約が発効した。沖縄は日本から分離され、米国施政権下に置かれた。
 非戦を誓った憲法秩序からの完全離脱を強いられたわけだ。
 講和から4年後の1956年、米軍の基地強制接収にあらがう島ぐるみ闘争が最高潮に達した。
 この年、詩人山之口貘は、米軍基地に組み敷かれた故郷を悲しむ「不沈母艦沖縄」を世に問うた。
 〈まもなく戦禍の惨劇から立ち上り きずだらけの肉体を引きずって どうやら沖縄が生きのびたところは 不沈母艦沖縄だ〉
◆安保が上位でいいのか
 戦争を放棄し、恒久平和の理念を掲げる日本国憲法は施行から65年を迎えた。県民は主権者として、平和憲法の恩恵を実感できる沖縄の実現を求め続けている。
 しかし、基地負担が重くのし掛かる沖縄の現実に照らせば「平和憲法の下への復帰」はいまだ遠い。それが施政権返還40年の年に県民が抱く憲法への実感だろう。
 児童が授業を受ける小学校の教室内で、車の1~2メートル前で聞くクラクションと同じ大きさの轟音(ごうおん)が容赦なく響く。いつ襲来するか予測がつかない音の源は米軍機だ。
 罪を犯した米軍人・軍属が基地に逃げ込めば、すぐには逮捕できない。不平等な日米地位協定が改められる気配もない。
 住民の命の重さを二の次にし、平穏に暮らす最低限の生活環境、主権が脅かされる地域が国内のどこに、どれだけあるだろうか。
 日米両政府が沖縄の基地負担軽減を何度話し合っても、軍事的思惑が最優先され、沖縄に基地を押し付ける構図は変わらない。実効性を伴わない「虚飾の負担軽減」が屋上屋を架しているように映る。
 さらに中国をにらんだ「動的防衛力」を掲げ、先島への自衛隊配備に前のめりとなる国の姿が鮮明になっている。
 在日米軍再編見直し協議で、日米の軍事協力を強化するため、国外の米軍基地を自衛隊が使い、日本が資金を拠出する枠組みが打ち出された。専守防衛の憲法理念、国是を逸脱する動きが国会での議論もなく加速することは危うい。
 日米両政府と、新基地を拒む、沖縄の民意との溝は深い。安保が上位に立ち憲法をしのぐ状況も深まっている。沖縄はあたかも憲法が機能しない「番外地」のようだ。
 山之口貘が、沖縄を不沈母艦になぞらえ、悲嘆した状況と何がどう変わったのだろうか。
◆放置される不条理
 為政者の最大の役割は、憲法に基づいて、国民の生命・財産を守ることにある。
 日本政府の側に憲法を守り、国民を大切にする意識が希薄だからこそ、沖縄の「不条理」が是正されないまま放置されている。
 権力の暴走に歯止めをかける憲法が持つ役割、輝きがくすんでいるのではない。主権者である私たちは、諦念(ていねん)にとらわれ、理想をかなぐり捨てるわけにはいかない。
 立法、司法、行政の三権、そして地方自治体、国民一人一人が憲法を活(い)かす「活憲」の思考回路を広げることで、市民の目線でこの国の在り方や人権状況を問い直し、改めていかねばならない。
 昨年3月に起きた東日本大震災を機に、憲法25条が定める「生存権」にあらためて光が当たった。同条は「すべての国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたう。
 原子力発電の危険性への備えと民主主義に欠かせない情報公開が欠けたまま、福島第1原発事故が起き、未曽有の被害が生じた。
 放射線が残り、帰宅すらかなわない住民も多い。「安保」と同様に「原発推進」の国策が憲法を凌駕(りょうが)して安全を置き去りにし、住民の生命、財産を危機に追いやった。
 生存権や幸福追求権に根差した大震災・原発事故の被災地復興と、沖縄の差別的な基地集中の是正に憲法再生の道筋を重ねたい。
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基地、そして原発も、
これらが存在する地域や、それを取り巻く様々な裏事情など、
その構造はよく似ている。。
東日本大震災。
沖縄は復帰40年目の節目を迎える・・
何か大事なモノが欠落している。
この国は根本的な部分を変える時だと思う。。
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