【No.1384】 5・15 沖縄の日本復帰とモノづくり

まもなくやって来る5月15日。
1972年5月15日に、沖縄は1945年から27年間続いたアメリカ統治の状態から
日本に復帰しました。
アメリカ統治から再び日本になった沖縄は、当然ながら大きな変化をします。
それは手工芸のモノづくりにおいても同様です。
その前に、沖縄の工芸は、アメリカであったがゆえの変化をたどります。
沖縄戦でほぼ壊滅状態になった沖縄。
やちむん(焼物)の街壺屋は奇跡的に被害が少なかったのですが、
琉球ガラスや紅型、漆器などはほとんどの工房が破壊されてしまいました。
そこから当時の作り手の方々の執念で、沖縄の工芸は少しづつ息を吹き返します。
その後、やちむん、琉球ガラス、紅型などは、米兵の土産品として売れるようになります。
米兵からのリクエストもかなりあったようで、琉球ガラスだとキャプテン瓶、
紅型だとクリスマスカードやタペストリーなどこれまでなかったアイテムが
この頃から作られるようになり、沖縄工芸の復活にも影響を与えたといっても
良いと思います。



そして1972年5月15日の日本復帰。
この頃からの動きの1つとしては、日本からの観光客が来沖するようになり、
ここから観光土産品というジャンルが出来はじめます。
特に琉球ガラス、やちむん、琉球漆器は観光市場で良く売れたようです。
琉球ガラスでかなり派手な色合いのものが出始めたのもこの頃、
今では琉球ガラス、やちむんは観光市場での売上が約70~80%あるといわれています。
もう一つの動きとしては、日本からの競合製品が一気に入って来た事です。
沖縄の木工もこの頃にかなり衰退し、廃業した所も多かったと聞きました。
後は、観光土産品需要が増えた事によって、県外から沖縄の染織を模したプリント製品などの
流通も沖縄の作り手達に影響を与えたと思います。
僕の中では、やはり観光市場というマーケットの形成が沖縄の工芸品に
色々な意味で大きなインパクトだったと考えています。
その流れに乗って生産額を伸ばした工芸のジャンル、作り手。
そして、乗れなかった、または乗らなかったジャンル、作り手。
復帰からすでに40年が経過しました。
物事には一定のサイクルがあるといわれています。
その一つの説が約30年のサイクルです。
沖縄のモノづくりに例えるならば、
アメリカ世の27年、日本復帰してから約40年、
そろそろ次のサイクルに入る時期なのではないかと僕は考えています。
それは時代の流れ・時流でもあり、
そして何よりも沖縄のモノづくりに関わる人間の意思だと思います。
僕自身は、観光土産品や着物など特定のジャンルから
普段使いのモノづくりへ、それを県内、県外、海外へ向けたモノづくりへの変革である
と考えています。



琉球から日本、戦後はアメリカ、そしてまた日本へ、、
日本の中でも、これだけの変化があった産地はないと思います。
この変化の中で生きてきた人々、継承・発展してきたモノづくり。
地域の辿ってきた道のり(運命)は地域の個性になります。
それをどう活かして次に繋げていくのか。
沖縄のモノづくり、そして沖縄も大きな変化の時をむかえています。