【No.1421】「埋立て承認取消し」と改めて思ったこと

昨日、翁長知事が辺野古の新基地建設について、
前知事の埋め立て承認を取り消すと表明しました。
この間約1ヶ月間行われてきた沖縄県と政府の集中協議、、
集中協議というよりも、はっきり言って政府のパフォーマンスとしか思えませんでした。
そして今回の承認取り消し。
知事にとってかなり大きな決断だったと思います。
ただし、勝負はこれからです。
恐らく沖縄県と国との法廷闘争へと発展するでしょう。
ここからがかなり険しい道のりです。
夜のニュースでもこの件を取り上げていましたが、
その中で、辺野古への移設を推進している方が、
「振興策で辺野古に若い人をもっと呼んで、活性化させたい」とおっしゃっていました。



地域を活性化させたいというのは、本当に切実な思いなはずです。
でも、今回辺野古に新基地を造るとなると、
その代償はあまりにも大きすぎると思います。
『続・百年の愚行』という本の中で、こんな言葉がありました。
「一般人がリアリティーを持って思い描ける時間的範囲は、自分を中心に前後3世代、
つまり、祖父母と時代と孫の時代まで」
これはほぼ100年に相当します。
現在世界で起きている戦争、紛争、弾圧、虐殺、エネルギー、核・・
などの愚行の要因は、「速度と効率の追求」、「他者の、ときに自らの記憶の破壊と忘却」、
そして「他者への想像力の欠如」だとあります。



かつて米兵を相手に賑わっていた辺野古の街を見て思いました。
結局基地があることで繁栄した街は、時代によって衰退する。
地域側に主導権のない繁栄は結局長続きしないことは、過去が証明しています。
せめて100年後、
基地の危険と自然の破壊と引き替えにした金で造った街ではなく、
この豊かな沖縄の自然と、持続発展できる地域の仕組みを残す事はできないのでしょうか。
基地容認派も反対派も地域を良くしたいという思いは一緒なはずです。
こんなのはただの理想でしょうか?
現実はそんなものではないのでしょうか?
だけど、理想を忘れ、「今だけ」、「自分だけ」という基準で物事を判断すれば、
また愚行は繰り返されると思います。



どんなにつらくても、苦しくても、
僕は理想や思いを大切にして生きていきたいし、事業もやっていきたい。
そしてしっかり成果を出して、
この思いや事業のスタイルを、何とか沖縄内に波及させていきたいと改めて思いました。