【No.1538】「もの」が売れる時は一番危険な時

先日、1974年に発行された雑誌『琉球の文化』を読んでいて、大城志津子氏さんが書かれた文書に目が留まりました。



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 昭和四十七年、沖縄が日本復帰をした当初、沖縄の織物が各方面より注目され、作れば、何でも売れるという一時期であった。しかし「もの」が売れる時は一番危険な時と良く云われる通り、それが実感として、こんなにも早く押し寄せてこようとは、誰もが考えなかったことであろう。
 沖縄の伝統織物が最高のものとして他に受け入れられているという過信は捨て去り、新たに反省してみる必要があるのではないだろうか。

『琉球の文化 第5号』(1974年)
沖縄織物の雛形帳 大城志津子 より
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この文が書かれた1974年といえば、着物市場の売上が全盛期を迎える時。
染織、やちむん、琉球ガラス、琉球漆器、三線・・・
沖縄の工芸は、廃藩置県後の日本化、1972年の日本復帰、海洋博バブル、着物ブーム、沖縄ブームなど、過去の歴史をみても「作れば売れる」という経験を繰り返しています。
京セラやKDDIを創業された稲盛和夫さんは、失敗や困難な事も試練だが、成功もまた試練という事をおっしゃいます。
もちろん売れる事が悪いというわけではありません。今の時代は売れなければ継続する事もできません。
重要なのは、売れる中で「進化」しているのかという事です。
(生物の進化と同じようなイメージです。自然の摂理を考えれば、この世に存在するものはすべて進化していかなければ生存し続けられません。)
過去の例を見ても、ものすごく売れている時にモノの質が落ちたり、また工房や業界の問題に蓋をしてそのまま放置してしまうなど、良い時に衰退の種をまいてしまう、衰退の芽を育ててしまう事が問題なのです。
工芸、手仕事ブームに加え、沖縄は観光客も増え続け、沖縄の工芸の人気も高まる裏で、相変わらずの工芸生産者の収益性の低さ、着物業界の流通構造、後継者育成、原材料、業界団体の体質など、問題が山積しています。
まさに「作れば売れる」今が、沖縄工芸にとっての試練。
そんな中で、沖縄の工芸生産者や業界団体、そしてゆいまーる沖縄も、10年後・20年後の先を見据えて、それぞれの存在意義・役割を見直し、行動していく必要があると思います。