【No.815】 1週間の攻防

昨日、ふと思い立って行ったところ。
那覇市にある対馬丸記念館。



1944年8月22日、那覇港を出港した学童集団疎開船の対馬丸が潜水艦に撃沈され、
1482人が犠牲になりました。
その後10.10空襲があり、翌年沖縄に米軍が上陸し、あの悲惨な地上戦がありました。
今週の日曜日、6月23日は沖縄戦が終結したとされる「沖縄慰霊の日」です。
第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって
組織的戦闘が終結したとされています(実際にはその後もゲリラ戦は続きます)。



実は6月17日時点ではほぼ日本軍は壊滅状態でしたが、これからの最後の1週間の攻防により、
兵士、住民の犠牲者が一気に増えたといわれています。
結果として、この地上戦で約20万人の犠牲者が出ました。
歴史に「もしも・・」はありえませんが、もしも早い段階で組織的戦闘が終結していれば、
かなりの数の兵士、住民の犠牲は防げていたでしょう。
1945年の沖縄は、この時期最後の攻防に入りました。