【No.821】 6.23 沖縄は慰霊の日
今日は6月23日、沖縄慰霊の日です。
【沖縄慰霊の日について】
1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。復帰前は、住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)に基づく公休日とされた。
1972年の日本復帰後は日本の法律が適用となって慰霊の日は休日としての法的根拠がなくなったが、1991年に沖縄県の自治体が休日条例で慰霊の日を休日と定められたことによって、沖縄県内では法的に慰霊の日が休日となった。
あくまで組織的戦闘が終わったとされたのが6月23日であって、
その後もゲリラ戦が沖縄各地で起こり、その後もたくさんの方が亡くなっている。
1945年、日本の配色が濃くなっていたが、天皇制を維持するために、有利な条件で
連合国側と交渉する必要があった。また、本土決戦の準備も十分にできていない。
そのための時間かせぎの捨て石作戦の犠牲となった沖縄。
その結果起きてしまった、あまりにも残酷な出来事。
日本軍による住民虐殺、
住民が軍命、強制、誘導によって追い詰められた集団自決、
学童を中心に1418人(氏名判明分)が亡くなった集団学童疎開船「対馬丸」の撃沈、
多くの死者が出た、十・十空襲、
まだ中学、高校生にも関わらず、戦上に動員された者たち、
連行された、朝鮮人「軍婦」「慰安婦」、、
実際の戦場での出来後はあまりにも悲惨な状況だった。
避難したガマの中で、赤ん坊や子供が泣いたりすると、その声が米兵に聞かれ、
攻撃されるからといって、日本兵が子供を毒殺したり、母親を脅して子供に手をかけさせる。
集団自決では、住民が1カ所に集まり、日本兵から配布された手榴弾等で自決を図った。
手榴弾もない人たちは、オノや鎌、近くにある石などを使い、肉親同士で殺し合う。
こんな事が沖縄中で起こった。
沖縄県の戦没者総数は約20万人。そのうち一般住民の戦没者が約9万4千人もいる。
特に組織的戦闘が終わったとされる6月23日の1週間ほど前の犠牲者が一気に増えている。
これも、少しでも本土決戦を伸ばそうと時間稼ぎをした結果だ。
そして今、
今も居座る軍事基地。
政府は地元が反対する中、オスプレイの強行配備を行い、
さらに辺野古、高江に新たな基地を造ろうとしている。
あの時捨て石になった沖縄の存在は今でも変わっていない。
一体いつまで沖縄に「負」を押しつければ気がすむのか?
戦争の悲惨さを知り、語り継ぐと同時に、なぜ戦争が起きるのかを知る事が重要だと思う。
それは、今私たちが生きている現代資本主義が大きく関わっており、この経済を維持・発展
していくために、戦争をしなければいけない状況にある。
資本主義自体を僕は否定しないが、この仕組みを知り、行き過ぎた今の状況を変えなければならない。
それは、「シアワセ」のものさしを変える事。
モノとカネを中心に人間の欲望を追求し続けてきたこの価値を転換する事が求められている。
本来持っているべきだと思うこの「モノサシ」は沖縄の中にある。
それを発信していく事も私たちの会社の役割だと思っています。
唯一の地上戦を経験し、被害を受けただけでなく、
基地がある事で、米軍の出撃拠点となり、ある意味加害者にもなってしまっている沖縄。
そんな沖縄だからこそ、平和を発信する役割は非常に大きい。
昨日は社員研修と宿泊を行い、
今日はこれから社員と糸満にある魂魄の塔へ行ってきます。
6月23日、沖縄慰霊の日、
沖縄戦で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。