【No.1549】伝統の「型」について考えた―「身体性」と「精神性」という文化の生命
先日、沖縄アーツカウンシルが主催するフォーラム『次世代が取り組む「伝統」のかたち』に参加してきました 。登壇された沖縄芝居研究会の伊良波さゆきさん、金丸獅子の波平直毅さん、そして沖縄県立芸大の遠藤美奈さん 。試行錯誤を繰り返しながら「継承」に向き合う皆さんの情熱的な取組に触れ、僕の中でひとつの問いが広がりました 。
それは、伝統における「型」とは一体何か、ということです 。

「固定」という安心の、その先へ
僕たちが日々向き合っている工芸の世界に目を向けると、国が指定する「伝統的工芸品」のように、原材料や製法を定義することで守られてきた価値があります 。それは先人たちが積み上げてきた知恵や技術の結晶です。
しかし、その定義によって「型」が固定されてしまうことは、時として、その文化の歩みを止めてしまう一面も孕んでいます。 僕は、工芸も芸能も、ある意味で生物と同じではないかと考えています 。
生物が環境の変化に合わせて少しずつ姿を変え、進化し続けることで命をつないできたように、文化もまた、現代の暮らしや人々の感性に適応し、変化し続けることでこそ生き永らえることができる 。そうであるならば、定義によって無理に固定しようとすることは、自然の循環から外れる、不自然なことなのかもしれません 。
言語化できない「型」を支える二つの要素
フォーラムを通して、言語化や定義化が極めて難しい伝統の「型」を構成する本質は、「身体性」と「精神性」という二つの要素が重なり合う場所にあると強く感じました。
一つ目は、「身体性」です。 今の時代、映像やデジタルアーカイブで「形」を残すことも大切です。しかし、それだけでは伝統の真髄は伝わりません 。師匠や先輩方と共に創り、共に踊り、同じ汗を流す 。その五感をフルに使った「身体的な共体験」があって初めて、伝統が持つ本来の「匂い」や「温度感」が受け継がれます 。身体を通した理解があってこそ、「型」はただの形を超え、血の通ったものになるのではないでしょうか。
二つ目は、沖縄独自の「精神性」です。 琉球文化の根源には、自然を畏れ敬う「自然崇拝」や「祖先崇拝」があります 。 「型」の背景には、目に見えない神々への祈りや、先祖への感謝、そして自分が自然の環の一部であるという沖縄の持つ価値観が流れています 。
この精神性が伴って初めて、「型」に魂が宿り、時代を超えて人々を揺さぶる力を持つのだと思います。

文化は、今を生きる「動的平衡」
この感覚を、僕は生物学でいう「動的平衡(どうてきへいこう)」にとても似ていると思いました。 私たちの体を作る細胞が日々入れ替わっているのに、一人の「人間」としての同一性を保っているように。伝統もまた、関わる「ヒト」や「モノ」が時代とともに絶えず入れ替わりながらも、その奥底にある「精神性」という軸がブレないからこそ、全体として美しく調和あるバランスを保ち続けることができるのです 。
ゆいまーる沖縄のミッションは「沖縄の文化を創造する」ことです 。それは、単に古いものをそのまま守ることではなく、伝統のエッセンスを抽出し、現代の暮らしに合わせて「翻訳」し、新しい価値として生み出すこと 。
文化は、生き物である。 だからこそ、僕たちはこれからも「手触りのある身体性」と「沖縄の精神性」を大切にしながら、皆さまに沖縄の宝物を届けていきたいと、改めて思いました。
ゆいまーる沖縄株式会社
代表取締役 鈴木 修司